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先日、ZAWAのこちらのツイートがいつもに比べて伸びました。
このツイートに対して、下記のような意見が出てきました。
あ、やべ!アンチコメントや!笑
普段ZAWAのツイートなんてほぼ誰にも見られてないですが、トレンドワードを使ってそこそこの数の人に見てもらえると、こういう反対意見やアンチコメントが入ることがあります。
ZAWAはアンチコメントは「たくさんの人に見られてる証拠」と考えているので大歓迎です。
ただこの「どっちもどっち論」という指摘は少し考えさせられました。
確かに、どっちもどっちって考える事多い気がする。
そんな自分に気づいたので、本日はどっちもどっち論のメリット・デメリットを考察した上で、最終的にZAWAは「どっちもどっち論って素晴らしいとこあるぜ!」って話をしていきたいと思います。
それでは始めます。
「どっちもどっち論」が害悪とされる理由。
どっちもどっち論(DD論)は、ネット上ではこのような意味合いで使われているようです。
A.第三者・傍観者が話(主に言い争い)に割って入る為に使用する
ニコニコ大百科
ニコニコ大百科のように不特定多数の閲覧する記事で言い争いが発生して互いにヒートアップし過ぎた場合や、荒らしへの非難がエスカレートしてそれ自体が荒らしになりかねないレベルになった場合に「どっちも一旦落ち着け」といった意図で使われることが多い。
しかし中立の第三者であっても上から目線であったり、余計な一言を挟んで火に油を注ぐ結果に終わる場合がある。その場合、言い争いの当人たちだけでなく、別の「第三者」からも「話をややこしくする荒らし」「双方を同レベルとすることで上に立ちたいだけ」などと叩かれることも。
B.論争などで不利になった方が話を有耶無耶にする為に使用する
他にも、
・ポジションを明確にしないズルい手法。
・どっちもどっちと言いながら、片側に偏った意見の場合もある。
・どっちもどっちと言うだけで、結論や是非を問うのに繋がる主張が無い。
など、色々とDD論について否定的な意見があります。
簡単にまとめると、
この図のような議論を行う場所、意見を交換する場、「○か×か」を決めるような話し合いの場、において「どっちもどっちだね」という意見を言う奴は「アホ」だ。という話なのである。
これには、ZAWAも完全に同意。
お題があるにも関わらず、お題に対して議論を交わしてるのにも関わらず、横から「君らどっちもどっち。不毛なことしてんね?」って冷笑しているような奴ですもんね、そりゃ叩かれるわ。
メンタルやストレスコントロールには”DD論”が効く。
どっちもどっち論(DD論)が嫌われる、叩かれる理由はなんとなくわかりました。
ただ叩かれるには1つ大きな前提条件があります。
それは、
・議論の場であること。
何かお題があり、参加者がそのお題について異なる意見を主張し合うという場において、DD論者は叩かれたり相手にされなくてもしょうがないが、その前提が無い状態で批判するのはおかしい。
例えば冒頭のZAWAのツイートに関して言えば、
これが誰かのツイートに関する返信やリツイート、或いは特定の人物にメンションをつけてのツイートであれば、ZAWAのツイートも害悪なDD論ツイートだったかもしれない。
ただZAWAのツイートはそうでは無いし、どちらかと言えば「他者の行動を管理しようとする」自粛要請側とは対立側の意見というポジションで話してるし、”DD論”で”冷笑”したのは議論でもなんでもなく汚い言葉で罵り合ってる数多くのツイートに対してなので、アンチコメントの批判には何もピンと来ない。
寧ろ、このように「議論の場ですらない」状況で自分の正しさを主張し、相手を批判してしまう習慣がある人にこそこの「どっちもどっち論(DD論)」をZAWAは勧めたいと思います。
結構日常的にこういうシチュエーションあると思うんですよね。
例えばZAWAは結婚12年目ですが、子供がいないです。
作らない選択を夫婦でしていると言うと、諸先輩方から色々言われます。
「子どもは作った方がいい。それで男は一人前だ」
「子孫を残すことが動物の本分だ」
「欲しくても子どもを授かれない人もいるのに贅沢だ」
言ってることはすごくよく分かるのですが、正直言って大きなお世話だし、言い方によっては「自分が正しくてお前は間違っている」と言われてるような気分にもなります。
これが「第一回 こどもを作るのは正解or不正解討論会」みたいな場所で言われるなら反論したり、意見を交換しあったりするのかもしれませんが、大抵の場合は違います。
・と違うものを認めたく無い
・を理解してくれると嬉しい
・が間違っていたらすごく怖い
こんな心境の時に、自分の主張を相手に押し付け気味になってしまうのです。
そう言う心境になってしまいがちな人ほど、「どっちもどっち」だと思うマインドセットが効果的です。
だって、「自分が正しい!」を貫く方法しか選べないと、ストレスが絶対生まれるんですもん。
世の中に絶対的に正しい1つの方法や考え方ってほぼ無いと思うんですよね。
ある意味ではこれは正しい。
あるシチュエーションではそっちが正しい。
ある部分ではどっちも間違っている。
このようにTPOによって価値が変わる場合も多いし、二者択一的に優劣を決めるってなかなか難しいこと。
そしてその「あくまで正解の内の1つ」でしかないあなたの正解を、違う正解を持っている人に説き伏せて考えを改めさせるってよっぽど説得力のある主張でも難易度が高いのがわかります。
だからきっと「自分が正しい!」を貫く方法しか選べない人は、そういうシチュエーションの度に自分の正当性を理解してもらえることのないストレスに苦しむ訳です。分かってもらえないのもストレスだし、自分の正解と違うものの存在自体がストレスだし、「価値観を押し付けようとするわがままな奴」だという印象を持たれてしまう可能性へのストレス。色んなストレスが生まれます。
だったら、色んな正解・価値観があるし、優劣や序列を作ったりしない「どっちもどっち論」を自分のデフォルトにした方がそういったストレスを生み出すことがないんじゃないでしょうか。
ZAWAはそういうマインドセットをしているので、諸先輩に「子作り」のことを言われた時のストレスってほとんどないです。
そりゃ価値観を押し付けられそうになったり、「お前は間違っている」的なことを言われれば少しはムッとしますよ?
でも、
「あ、この人はこういう”正解”で生きている人なんだ」
と、思えるので大したダメージはないです。
なんか納豆食べてたら外国の人に「うわ、お前はその腐った豆をたべるのか!?おぇ」って言われたような感じに近いです。笑
文化・風習・常識・価値観が違う人に何を言われても大したダメージないんですよ。
しかも無知であればなおさら。 納豆を知らない・食べたこともない人に納豆を非難されてもピンとこないもんね。
このように、「言われた側」がどっちもどっちマインドを持っているのにもストレス回避の効果がありますし、「言う側」もどっちもどっちマインドを持っていれば、そもそも自分の価値観と違うものにそこまで反応しなくて済むようになるのではないでしょうか。
どっちもどっち論は、ストレスケア目線では攻守共に効果のあるマインドセットです。
多様な価値観の存在を認められると、ストレスはかなり軽減されます。
ただ、議論の場においては「どっちもどっち論」を使うのはよくないです。
本日は以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
赤澤飯店の主人:ZAWA
1982年東京生まれ。
脱サラし、海沿いの町で飲食店を営業。
ケアストレスカウンセラー。
『GOOD VIBES ONLY』をモットーに日々ストレスの無い毎日を研究中。
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