浮気・不倫は本当に悪なのか? 考えることでストレスをケアしよう。

恋愛・結婚のストレス

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今日の話はとても物議をかもす内容になると思います。

誤解の無いように予め言っておくと、ZAWAは浮気や不倫を全面的に肯定しようとしている訳ではありません。

自分のパートナーが浮気や不倫をしてることを知ったら、それはショックな出来事ですし、出来ればそんなことが無いほうが自分の精神衛生が良好に保てると思ってます。

ではなぜこのようなテーマにしたかと言うと、
皆さんは世の中に数多あるルール、常識、道徳、モラル、マナー、風習、文化、言い方は様々ありますが、みんなが当たり前だと思っていることって「いつどこで誰が」決めたことなのか考えたことありますか?

意外とこういうこと考えるきっかけを持つことって無いんじゃないでしょうか。
ZAWAは数年前まで全く考えた事ありませんでした。

小さい頃からそれが「当たり前」だと思ってることって、「そういうものだから!」って言葉で納得できちゃってて、考えるまでもなく「正解」としてオートマチックに判断してしまってません?

それで日常生活が問題なくハッピーに過ごせるなら考える必要なんてないんですが、
「旦那が不倫した」「彼女に浮気された」みたいなことは、その当事者の心に大きな傷をつけたり、多大なストレスを与えるじゃないですか。

でも、なんでちゃんと考えたことでもなく自分で決めた答えでもないことでそこまで自分の精神衛生が乱されてしまうのでしょうか。

このブログはストレスを軽減し自分の精神衛生を良好に保つため、人生のハッピーな時間を増やすための思考術、自分の感情を制御する方法などについて考察してます。

ですので、敢えてこの「浮気・不倫」という題材に切り込むことで、自分の中の常識や価値観をきちんと見つめ直し、その上で自分の正解を決める機会にしてもらえたら幸いです。

是非、情緒的な部分や感情的な部分は一旦傍に置いて、フラットな目線で読んでみてください。

浮気・不倫についてメタ認知してみる。

浮気が悪ということは唯一無二の価値観か?

「なぜ浮気が悪いの?」と質問されればいろんな回答をポンポンだせます。

「浮気されたら悲しいし傷つくのでするべきことではない」とか、「法律にも不貞行為が離婚事由として規定されている」、「常識的にありえない」などなど。

当然多くの人がこの意見に対して共感をし、肯定的に受け取る事でしょう。ZAWAももちろん共感します。

重ねて言いますがZAWAはここで「浮気を認めろ!」という主張がしたいのではないです。

「常識を盲信するのではなく、なぜ認められないかという理由をきちんと考えた上で判断する」というプロセスの必要性を投げかけてます。

次の項からは、敢えてZAWAが浮気肯定派の立場に立って浮気が唯一無二の悪ではないのでは?という主張をしていきますので、画面越しに議論をしているような気持ちでご覧ください。

一夫一婦制は誰かに都合のいい制度だった?

日本は一夫一婦制であり、それ以外の多夫多妻といったことは法律で認められていません。重婚は重婚罪という犯罪であり刑事罰があります。

これは浮気否定派の大きな反論材料です。

ただこの話は「婚姻を結べる相手は一人です」という制度の話で、「愛するパートナーは一人でなければならない」という決まりごとではありません。

「不貞行為」は離婚事由として民法に規定されていますが、刑事罰などはないです。つまり法律では「悪」とはされていないとも解釈できます。


そもそも重婚を認めていない一夫一婦制という決まりごとがなぜ生まれたのでしょうか。


諸説あるようですが、それらは「一人の相手に愛を注ぐ」といったロマンティックな理由ではなく、「大人の事情」だったりするらしい。



時は大昔、文明はあっても今のように科学が発達していなかった時代、統治者は世襲を重要視しており自身の権力や財産を自分亡き後に自分の血縁者に引き継いできました。

一夫一婦制ではなく妻を何人も娶り、自分の子孫を残す事が非常に大切だった。日本の大奥なんかもその類ですね。

ただ当時は一夫多妻という考え方で、女性が不特定多数の男性と性的交渉をすることは認められていませんでした。

なぜなら、DNA鑑定のような技術は当時は無くて、それを認めてしまうと本当に自分の子供か確認する術がないから。

ここで「女性が不特定多数の男性と性的関係になる」ということを「悪」とする文化が生まれます。これは「男尊女卑」のような、女性軽視の文化の発端にも少なからず影響しているでしょう。


そして統治者がさらに力をつけ、領土を広げ、その領土に住む一般市民たちを管理しやすいシステムを作ります。それが法律です。

どこに誰が住み、誰と一緒にいて、子供が何人いて、何を生業としていてなど、市民たちの状況を把握し、自分の地位が脅かされる事のないように管理しやすいルールを設定していったのです。


すごく大昔の前近代的な話のように思えますが、日本が一夫一婦制を民法で設定したのは明治31年(1898年)と僅か100年ちょっと前です。

国を管理するために効率の良いシステムが「法律」といったルールとしてその時代の時流に合わせて制定されていくのです。

戸籍を管理する上で、誰の子供か分からないのは不便だから。
相続税などを徴収する上で、親子関係をきちんと把握する必要があるから。
結婚できない男が、奥さんが複数いる人に不平等感を感じてしまうから。


こんな感じで国民を管理しやすくするためのルールを設定していったことで「パートナーは一人でなければならない」という概念が誕生します。


どうでしょう。

誰かにとって都合がいいからという理由で生まれた「一夫一婦制」というルール、そして「パートナーは一人であるべき」という概念は、あなたがオートマティックに「不特定多数の異性をパートナーにしてはいけない」という生理的拒絶の理由になり得るものなのでしょうか?


生物学的に言えば、人類はモノガミー(一夫一婦制)ではない。

もっともーっと視野を広げると自然界ではモノガミーである種の方が少数派です。

人間のルーツは猿とされているおり、猿も基本的にはモノガミーではなく自由気ままに子孫を残そうとします。

つまり人間の体は構造上、不特定多数のパートナーと性的関係を持てるように機能が備わっており、ある時期まではそのように行動していたはずなんです。

「人間は猿とは違う、知性も感情も猿より豊かだし、何より愛を知っている」みたいな意見も否定派からは出ると思います。

ただ、前項で話した通り人類がモノガミーを選択しなくなった理由は、知性や愛といったロマンティックで情緒的な話ではなく、管理するためのシステムというものすごくドライなものです。


ここまで読んでみていかがでしたか?

浮気、パートナーを複数持つ事について肯定的な主張をしてみましたが、心をフラットにして感情的でなく構造的に考えた際に、全く一つも理解できないような話でしたでしょうか?

ここまで考えた上で、「それでも自分は一人の人だけ愛したい」「それでもやっぱり浮気は許したくない」と判断するのはZAWAも大賛成です。

自分とは違う価値観を主張する相手に対して、理解や受容を試みた上で、自分の中での正解を決めているからです。

ZAWAがこの記事で問題提起しているのは、自分が受け入れがたい感情や考え方を、理解する努力もせずに自動的に「自分が正しい、あなたは間違っている」と判断するのはいかがなものだろう?ということです。

だってそれって、オートマチックにストレスを発生させてしまっているってことですもんね。

芸能人の不倫のニュースをみて、「なんてひどい男だ!奥さんがかわいそう!こんな奴が世の中に存在してるだけでムカつく!!」ってなる人いるでしょう?

でも良く良く考えてみれば、自分が浮気されてる訳でもないし、そもそも会ったことも無い人たちの話だし、もしかしたら奥さんの方がもっと浮気している可能性だってあるし、浮気がなんでダメなのかなんて考えたことも無いし、って状態でなんでそんなに腹を立てたり、嫌な気持ちになったりしなくちゃいけないんでしょう。

普段当たり前だと思っていることを、敢えてこのように問題提起してみることで、不要なストレスを感じなくて済むかもしれません。

世間一般の常識やルールは普遍的な正解であるとは限りません。

自分のルールや正解を定めるのであれば、今一度きちんと一考した上で定めるようにしましょう。そうすることでコントロールできる日常のストレスがきっとあるはずです。


以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。

プロフィール画像
赤澤飯店の主人:ZAWA
1982年東京生まれ。
脱サラし、海沿いの町で飲食店を営業。
ケアストレスカウンセラー
『GOOD VIBES ONLY』をモットーに日々ストレスの無い毎日を研究中。

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