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先日ZAWAは、NewsPicks というニュースサイトで下記動画を見た。
最近時たま耳にする「ダイバーシティ」という言葉。
「多様性」と訳されるこの言葉の意味をZAWAはあまり理解をしていなかったので、ちょっと見て勉強してみようと思った。
本日は、「ダイバーシティとは?」というところから、「ダイバーシティ問題」とメディアで言われている物がどんなものなのか、それに対してZAWAがどのような見解になったのかということを書いていこうと思います。
・男女差別問題
・フェミニズム
・LGBTへの差別・偏見
・平等・公平主義
こういった主義、主張をしている人たちへのある意味アンチテーゼっぽい内容を含むものになると思います。
ZAWAは無知なので間違っている部分もあると思いますし、「男」であるZAWAが発言すると、ポジショントークにもなるし、「だから男は分かってない」的反論も出てくると思います。
もし何かあればコメント欄などに意見を入れてください。
ZAWAは無知を自覚しているので異論はいつだって認めています。
では、始めます。
ダイバーシティとは?
意味としては、「多様性」や「相違点」というものだけど、昨今メディアで耳にするのは、「ダイバーシティ・マネジメント」という企業運営をする上で、個人や集団の多様性や相違点を競合優位の源泉として活かしていこう!逆に活かせないとやばいぜ!みたいな話で使われてます。
少子高齢化が今後も進めば人材、労働力の確保が難しくなってくる。
IT化やグローバル化が進めば、優れた人材がより必要になってくる。
企業の発展のためには、そういった課題をダイバーシティ・マネジメントすることによって解決していく必要があるんやで。
とまぁ、ざっくりそんな話みたい。
つまり、今までは「欲しい(と思ってる)人材だけ」雇っていれば済んでたけど、女性を増やしてみたり、障害者や外国人を雇ってみたり、多様性から創出される新しいサービスやニーズ開拓をしていくといいぞ! 企業イメージも上がったりするし!って動きのことみたいだ。
なるほど。
ZAWAはなんとなく「ダイバーシティ」の意味を知らないでメディアの情報を見ていた時に、「差別を受けている女性」や「LGBT」や「障害者」の方々が取り上げられているのを目にしてたので、「女性差別問題」や「マイノリティ」関連の問題の時に使われる言葉なのかと思ってたけど、間違ってはいないけどちょっと認識とはズレていたのね。
ダイバーシティ問題とは?
んで、冒頭の動画を見て「ん?」と違和感を感じた。
「ダイバーシティ経営:女性管理職3割をなぜ実現できないのか?」
へ?なんでダイバーシティの話が「女性管理職3割」って話になんの?
どうやら政府がそういった目標を掲げたみたい。
男女雇用均等や、マイノリティ雇用問題もそうだし、企業が衰退すれば税収も減るわけだから、この「ダイバーシティ」に関する取り組みを政府としても推進したいって思惑は理解できる。
ただそれは政府の都合であって、実際に行う企業側はメリットがなければやる必要はないと判断するだろう。
あくまで取り組む「課題」であるかは個々のジャッジによるもので、政府が目標設定するべき類の話じゃない気がした。
そして案の定、この「目標」があることで「問題」と認識する人が出てきている。
先の動画の浜田女史の主張は、目標に対しての意見として聞けばまだ理解できる部分もあるが、「多様性を受け入れるべきか?」というお題に対して、「女性差別問題」や「いかに女性が社会で迫害を受けているか」という話ばかり主張しているように見える。
他のメディアで見るニュースなども同様で、「差別を受けている」「迫害を受けている」という問題、「社会は平等であるべきだ」という主張、が「ダイバーシティ」関連の内容の主題として取り扱われていることが多分にあるように感じる。
でも、これって関連はしてても、全く別の話でしょ。笑
この違和感を発生させているのは、政府のキャンペーンが下手くそで「数字目標」を掲げたことでゴールがブレたことと、それを分かりやすく編集し、且つ「差別問題」と結びつけて報道しているメディア、さらにはそれをそのまま「問題」として受け取ってしまっている人々にあるように思う。
「道徳」を「ルール化」するもんではない。
ZAWAは日頃から、道徳やらモラルといったものをルールや制度にするのってどうなんだろ?と疑問を持っている。
「道徳」の意味をグーグル先生に聞くと、
社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。
Oxford Languages
「ひとりひとりが守るべき」
「自分の良心によって」
と書いてある。
各個人が自分の思う範囲で行動すればいいことで、全員が統一して守るべき普遍的なルールなどでは無いんですよね。
差別や迫害や社会的弱者の問題を黙認すべきという主張ではないんだけど、
解決方法として「ルール化」するという方法はあまり上手い手段ではないと思う。
ルールにすることで、「弱者」に過度な力が与えられ権力構造が逆転するだけで、今まで「強者」の立ち位置にいた者が今度は迫害されるようなことも考えられる。
ファッションフェミスストが「男女差別だ!」「セクハラだ!」と何でもかんでも噛み付けば、男性は怖くて女性に話しかけることすら出来なくなる。
精神障害者が犯してしまった犯罪の被害者は泣き寝入りするしかなくなる。
ルールにすることで、一つの問題は解決しても、それが新たな問題の火種を生むのだ。
平等や公平=正義なのか?
「平等な社会」、「公平な社会」を求める声が間違っているとはZAWAは思わないが、「唯一の正解」とも思わない。
上記図にあるように、「何を以って平らなのか?」という基準によって結果が変わるからだ。
「皆平等に箱を一個あげます」は、平等だけど結局一番背の小さい人は試合を見ることができないで不平等感を感じるだろう。
「皆試合が見られる状態にする」のは公平だけど、貰える箱の数が違うことに異議を唱える人も出てくるだろう。
先ほども話したが、「ルール化」することで、このように立場の違いによって「不平等」を唱える人がどうしたって出てくる。
というか、どんな状態にあっても「不平や不満」をいう人はいなくならないと思う。
この絵のように、何かにつけて文句をいうことはできるし、みんなしてしまうから。
「じゃあ、どうすればいいのか?」と言われるとZAWAも困ってしまう😅
ただ一つ言えるのは、
「そもそも社会は平等や公平なものではない。」
という前提のようなものを受け入れると余計なストレスは減ると思う。
差別や偏見、それに伴う迫害をZAWAは全面的に肯定している訳ではもちろんありません。
『五体不満足』の乙武さんは、「差別」をこのように定義していました。
このような「差別」はZAWAも許したくないなぁと思ってます。
ただこの定義にも「正当な理由なく」という条件付きの定義であって、差をつけることや、排除されることが100% NGという話ではないんです。
「弱者代表」のような物言いにも違和感。
先の動画や、メディアでよく見る「差別反対派」の主張は、主語が意見を主張しているその人個人ではなく「その差別を受けている人の代表」のような物言いであるように見えるので、ZAWAはそこに違和感を覚えます。
「私は職場でこのような差別・迫害を受けた」
「私は社会でこのような不当な扱いを受けた」
なら、まだ分かる。
「女性は皆このような問題を抱えている」
「在日外国人はこのような差別を受けてる」
「LGBTの人々はこんなにも困難な社会を生きている」
このように、対象全てがあたかも問題を抱えているように話されると、
「本当にそうなの?」ってZAWAは勘ぐってしまう。
事実、ZAWAの周りの女性や外国人数人に話を聞いてみたが、大きな問題として捉えている人はいなかったし、逆にそういう活動のせいでやり辛いこともある、というような意見もあった。
先の動画でも、女性に役職を与えようとした際に女性側からそれを拒否するというパターンの話も出ていた。
うちのワイフもそうだが、「役職なんて付いたらめんどくさいから、いらね。」って女性もいる訳だし、30%ルールなんてなくても役職者の担っている女性も外国人の方もいるし、乙武さんのように障害があっても社会で活躍している人もいる。
少し話がズレるが、ZAWAは愛煙家で昨今の「嫌煙ブーム」により肩身の狭い思いをしている一人である。
でもZAWAが困っているのは「禁煙ブーム」や「過剰な嫌煙家」に対してというよりは、「マナーを守らない喫煙者」に対してだ。
歩きタバコするわ、ポイ捨てするわ、禁止エリアでタバコ吸うわ。
「あんたみたいな喫煙者がいるから、他の喫煙者まで過剰に叩かれるんだぞ」と思っている。
たぶん、これに似たようなことが「ダイバーシティ問題」でも起こっているのだろう。
多様性についてのZAWA的見解。
ZAWAの独自解釈の話をしてきたけど、共感できない人も多いと思います。
ZAWAは男だし、五体満足だし、日本人だし、そういう意味では恵まれた環境にいるからそうでない人の苦しみが分かっていないのかもしれません。
ただZAWAだって生きてて不遇さを感じることは多々あります。
背が大きいという理由で幼稚園の頃に虐められたこともありますし、
低所得なので、「嫁さんに養ってもらっているヒモ」扱いをされたこともあるし、
マナーを守っている喫煙者であっても「ヤニカス」呼ばわりされることもあります。
見た目がべらぼうに良い訳ではないので、「背も高いしパッと見イケメン風に見えるけど、よく見ると全然大したことないから!」ってカラオケ屋で酔っ払いに叫ばれたこともあります。笑
こんな低レベルな偏見?とは次元が違うのかもしれませんが、じゃあどのレベルなら声をあげ他者に不遇さの改善を求めてよいのでしょうか?
考えても分からないので、ZAWAは自分のことだけ考えるようにしています。
自分が不遇さを感じ、ネガティブな感情やストレスを感じてしまった時、ZAWAは他人で解決するのではなく、自分で解決する方法をまず選びます。
欲しい結果があるなら、自分の努力で解決を試みる。
周りを変えたいなら、まず自分が変わることを試みる。
周りがうるさいなら、圧倒的な結果でねじ伏せる。
与えられることを当然だと思わない。
世の中は不条理だらけで、清濁あるのが当然と捉える。
このようなマインドセットやアクションを行うことを自分の前提として置いています。
スヌーピー先輩も、
「配られたカードで勝負するしかない」と言っています。
配られたカードだけでも、戦略次第で勝てることも十分にありますし、
努力しだいで、もう1、2枚カードを新しく引いたりできるチャンスも作れると思ってます。
自分の不利益を嘆いたり、自分の利益になることを他者に求めてしまう前に、この辺を一考できると、ストレスを軽減できるのではないか?というのが、このブログで一貫して主張している意見でもあります。
まとめ
色々ZAWAの解釈を書き連ねてきましたが、
「ダイバーシティ」という言葉を使って締めくくってみようと思います。
NewsPicks の動画に出ていた方の一部の主張は、
「多様性を受け入れるべき!」という主張なのにも関わらず、
「多様性を受け入れない人たちを多様の一つとして認めていない」部分に矛盾がある、
とZAWAは感じました。
そこがこの動画を見た時の一番大きな違和感でした。
社会生活を営む人々が自発的に多様な価値観を認め合い、妥協しあい、寛容し合う優しい世界だといいなぁとZAWAは思っています。
ひとりひとりがそれに向けて、無理のない行動を持続的に行っていけるといいですね。
本日は「ストレスケア」とはあまり関係のない話でしたが、このように自分の思考を明文化することで、自分のネガティブな感情が何によって引き起こされているのかを客観的に見つめ直すことができます。
思考は目に見えないので、分かってるつもりでも意外と自分でもきちんと理解できていないことが往々にしてあります。
是非皆さんも、普段意識していない自分の思考について今回のZAWAのように「メタ認知」をすることでストレスを自分の力で制御することができるようトレーニングしてみてください。
本日は以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
赤澤飯店の主人:ZAWA
1982年東京生まれ。
脱サラし、海沿いの町で飲食店を営業。
ケアストレスカウンセラー。
『GOOD VIBES ONLY』をモットーに日々ストレスの無い毎日を研究中。
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