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生きていく為に「お金」って必要です。
その為にみんな毎日辛い仕事を頑張ってたりする訳ですよね。
でも、そんな必要不可欠なものにも関わらず「お金の話」って「セックスの話」とかと同じようにちょっとタブー感があります。
「金の亡者」というお金に執着心が強い人を揶揄する言葉があったり、2ちゃんねるなどでは「嫌儲」というネットスラングがあり他人が楽に儲けることに対する心情的反発といった意味合いで使われてたりするそうです。
以前ZAWAの店で地元の職人さんとIT系会社の社長さんが隣同士になった際に、職人さんが、
ITってのは俺には良く分かんねーが、ホリエモンとかZOZOの前澤なんちゃらって奴みたいなのは、パソコンで右から左に金動かして楽して金儲けしてんだろ? 働くってのは額に汗流して自分の体で稼ぐもんだ!
的な発言をして険悪な空気が流れたこともあります。
なぜ「お金を稼ぐ」という行為に対してこういった否定的な意見や感情が湧いてくるのでしょうか?
本日は「お金」にまつわる常識や価値観について考察し、不要な争いやストレスの火種を生まないマインドセットを探っていきたいと思います。
それでは始めます。
「金稼ぎ=卑しい行為」の発端。
生きていく上で「お金は大切!」という認識は、結構多くの人が共通で持っている感覚だと思います。
だけど、「必要以上にお金を稼ぐこと」「とにかくお金稼ぎたい!」などお金への執着心の強さに対しては懐疑的な気持ちを感じる人も多いのではないでしょうか。
昔から「清貧」、「ボロは着てても心は錦」、「武士は食わねど高楊枝」など、お金に縛られない生き方への崇高さを讃える言葉もあります。
このような文化や考え方は一体どのようにして生まれたのでしょうか。
一説によると、江戸時代の「士農工商」という身分制度が発端になっているそうです。
どんな説かというと、
自分も天下統一し、幕府は開いたけど織田さん・豊臣さんと同じようにしてたら自分も失敗しちゃう。
国民をどのように管理したら自らの統治が長く維持できるのか、多分当時の頭の良い人たちいっぱい集めて色々考えた。
結果たどり着いた答えが、
「国民をみんなちょうどいい感じの貧乏にしよう。」
というもの。
お金をいっぱい持ってる=力がある、だから金持ちがいるのは危ない。
反乱起こされちゃう。
かと言って、超貧乏な状態にするとあいつら開き直って一揆とかするから全く財力を持たせないのも危険。
大きな不満が出ないくらいの、程よい貧乏にしておくのが一番いいんじゃね? んじゃ、そういう文化を作っちゃおう。
的な感じで生まれたのが「士農工商」。
お侍さんは貧しくても、生き様や志の高さで生きていて偉いね、尊いね。
何かあれば体はって平和の為に戦ってくれるすごい人たちだよ!
農民の人たち、みんなが食べるもの作ってくれてありがたいね!彼らのお陰で僕らはご飯食べられてるんだよ。
物を作る人たちにも助けられてるね。彼らのお陰で便利で豊かな生活が送ることができるよね。ありがたいね。
でも、商人! あいつらはダメだ!お金の事ばっかり考えてて卑しい連中だ。身分は一番低くしよう。
とまぁ、こんな感じで作られたであろう身分制度が発端で400年程経った現在でも、「お金稼ぎ=卑しい」という感覚が残っているという説です。
このように、「誰かにとって都合がいい」ことを制度化や教育などで文化的に洗脳し、「正しい価値観」として根付くパターンは世の中に結構あります。
以前に「浮気」や「パートナーは一人だけ」という価値観について考察しましたが、それも一つですね。 興味がある方はそちらも読んでみてください。
これらの説が絶対的に正しい!という話ではもちろんないけれど、何も考えずに反射的に「金稼ぎ」に対して嫌悪感やストレスを感じてしまうのもまた、正しくない可能性があるのです。
お金が「価値基準」として優秀過ぎて、「考える」必要を無くした。
貨幣経済・資本主義というシステムはとても優秀で、人類発展のためにものすごく貢献してくれた仕組みです。
物やサービスなどの価値を「貨幣の量」によって決めるこの仕組みによって、人間にはお金という共通の価値基準が生まれ、それまで「牛1頭はヤギ3頭と交換が妥当? んじゃ小麦なら何キロ?」みたいなめんどくさい交渉はなくなりました。
そんな便利な状況を作ることができました。
お金は持ち運びも楽だしね。
ただ便利な状況というのは諸刃で、人間が自分で「価値」を自分なりに見出すといった能力は低下し、「パーソナルな価値基準」を作るという文化は衰退したんです。
お金は便利です。でも、便利すぎるんです。
あまりに便利でお金の価値が世の中に浸透しきってしまっているので、それ以外の価値を正しく認識できなくなってきてるんです。
自分が大好きで楽しくやってる仕事があっても、稼ぎが低かったら「自分は世の中で価値か低い人なのかも?」って思わされちゃうんですよ。
お金の価値基準にファックされてしまって、本当は大好きだと思ってる仕事の価値を正しく判断できない、或いは疑ってしまっているんです。
疑問が湧く程度ならまだ軽症です。
もうここまで「お金イズム」が世の中に浸透してしまっていると、疑問すら沸かない人もいっぱいいます。
・お金を稼げない人=社会的価値が低い人
・お金を稼げない仕事=ダメな仕事
このようにオートマチックに判断していて、何故そう思うのかを意識したことすら無い思考放棄ピーポーは世の中に腐るほどいます。
でもしょうがないんです。
世の中がそのように作られてしまったんですから。
でもこの辺に共感してもらえたり、「あ、そういう考え方もあるか」と思ったりしてもらえると、お金に関しての価値観や偏見が少し取り除けると思います。
なんかこう言うことを書いてると、「陰謀説」みたいな都市伝説的な感じに捉えられてしまうかもしれません。
「信じるか信じないかは、あなた次第です」ってやつ。
でもいつも言っているように、この赤澤飯店というブログは「自分の精神衛生を良好に保つ」ということを目的にしているブログです。
世の中の事柄の是非を問いたり、どうするのが良いのかという結論を出す場所でもありません。
自分の人生からストレスやネガティブを減らし、幸せを感じながら生きていく方法を考え、模索していく場所です。
だからそれが叶うなら、出まかせでも思い込みでも洗脳でも「手段」は何でもいいんです。
誰かの作った価値観やルールの奴隷になることで、悩みやストレスを抱えるのって馬鹿らしくないですか?
世の中で何が正解か!ではなく、
自分の中で何が正解か!ハッピーか!
という判断でいいじゃないですか。
お金は確かに大事だし便利ですが、それを価値基準にしてしまうと、
「あの人はお金持ってて羨ましい」という嫉妬や、
「自分は貧乏だ」という劣等感や、
「悪いことして稼いでいるに違いない」というレッテル貼りなど、
あなたの幸せに直結しないネガティブな感情が生まれてしまうんです。
もっとそれが加速すると、誹謗中傷や嫌悪感など自分の心の内に収まらず、他者を攻撃するようなことにも繋がります。
誰かの価値基準で生きるのは、もう今日からやめましょう!
本日は、「お金稼ぎ=卑しい行為」という考え方をテーマに、自分や社会にある固定観念にメスを入れるという考察をしてみました。
世の中にはこう言ったことが他にもいくらでもあります。
自殺は悪いことか?
人に迷惑をかけてはいけないのか?
動物の肉を食べるのはダメなのか?
なぜ服を着るのが当たり前なのか?
普段意識せずに「当たり前」だと思っていることを見直してみることで、自分がストレスを抱えている原因を探る行為は、あなたのストレスを軽減するヒントになるかもしれません。
このブログでもそう言った記事をこれからも書いていこうと思います。
本日は以上です。
最後までご覧いただいてありがとうございました。
赤澤飯店の主人:ZAWA
1982年東京生まれ。
脱サラし、海沿いの町で飲食店を営業。
ケアストレスカウンセラー。
『GOOD VIBES ONLY』をモットーに日々ストレスの無い毎日を研究中。
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